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レビューと自分の耳

音楽、とりわけクラシック音楽にのめり込み5年ほど経ったが、改めてその世界の深さに驚く。

クラシック音楽で最初に関心したのは、同じ曲でも指揮者で全く演奏が変わることということである。「指揮者なんて誰がやったって一緒でしょ?」というのは、クラシックを聞き込む前に思っていたこと。

 

実際、全然変わってくるもので、CDショップのクラシックコーナーに行くと、同曲異演がたくさん並んでいる。(こういう状況が、クラシック音楽の敷居を高くしているというのはあるかもしれない。)

同じ指揮者でも、年齢を重ねるとまた演奏も変わってくる。いろいろな録音を手に取って、様々な演奏を聴きこんでいくと、次第に好みの指揮者というのが現れてくる。

同じ録音を何度も聴き続けて、そこで初めて良さが分かってくるものをあり、味わい方は本当に幅広い。

こうした指揮者の個性や、楽団の特色、楽曲の組み合わせが種々あって、次はどんな演奏に出会えるかというワクワクを味わえるのも、クラシック音楽の特徴、そして醍醐味だと思う。

 

1枚1枚の個性が違うクラシック音楽のCDを買う際は、レビューや評価を見る機会も多く、それらに引っ張られてCDを選んだりすることもある。しかし、一般に名演、名盤と言われているディスクのなかでも、好みに合わない、良いとは思えないというものもある。

そういうときには、耳が未熟なのか、理解力が低いのか、と思うこともしばしばある。

 

そんな中で出会った「カルロさんの勝手におすすめクラシック」 *1というWEBサイトの文章。

 

どこからか借りてきた小難しそうな理屈を並べて知ったかぶりをし、クラシック通を自称して鼻高々、眼鏡の真ん中をちょいと中指で上げて鼻で人をフン!と笑い一人悦に入っているイヤミな奴だけがクラシック好きではありません。 好きなものは好き、理屈ぬきで好き、自分の感性に響くから好き、そんな聞き方をするクラシックファンがいてもいいではありませんか。法律、規則、慣習、社風でがんじがらめのこの世の中、全く自分勝手に好き嫌いを堂々と押し通せるのが「趣味で聞く音楽」なのですから。
皆様方も世評など気にせず、評論家の受け売りなどせず、ご自分の感性でクラシックをお聞きになってはいかがですか?

 

耳が未熟なわけではないのだと、ハッとさせられた。
趣味で聴いているのだから、単に自分自身の好き嫌いで決めていいし、人がどう評価しようと気にしなくてもいいのだと。

実際、レビューを書いている人の中には、あれこれ小難しいことを言っている人が確かにいて、僕なんか音楽はちゃんと学んだわけではないし、まして音楽を聴くのにそういうものが必要だとは思っていない。

皆好みも評価基準も違って当たり前。芸術でも、万人に受け入れられるものもあれば、先鋭的なものでは、ごく一部の人にしか受け入れられないということも当然ある。

 

たとえ一般的に見て凡庸な演奏だったとしても、聴いた自分自身がそれに感動したのなら、それは素晴らしい出会いだし、もっとも指揮者や演奏家は万々歳だと思う。

「聴き手のレベルが低い」と言われたら、確かにそれは否定しないけど、感動そのものを否定はできないはず。

WEB上で多くのレビューが見られるようになった今日だからこそ、自分自身の素直な感性で、芸術に向き合う、世界に向き合う。他人がどうか、技術がどうかではなく、自分自身がどう感じたか、というのが結局一番大切であるし、大事にしていくべきだと考えさせられたのである。

 

好きなものは好き、感じるままに感じればよい。

考えるな、感じろとはよく言ったもので、実は単純なことなのである。