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アフガンの真実と欺瞞~中村哲著『天、共に在り』

良い本を読むと、身体の内から力がこんこんと湧いてくる。
ペシャワール会中村哲医師の著作『天、共に在り』は、まさにそういう本である。

中村哲医師は、パキスタンペシャワールに医師として赴任して以来、パキスタンアフガニスタン地域での医療活動、用水路建設による灌漑に精力的に取り組まれている方で、アジアのノーベル賞と呼ばれる「マグサイサイ賞」など受賞されている。

本書『天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い』は、中村医師の生い立ちから、今日までの活動についてを書き綴った半生記である

ペシャワール会や中村医師は、名前は聞いたことがある程度の認識だった。先日、モンベル創業者の辰野勇氏の著書で中村医師との対談を読み、興味を持って本書を注文したのであるが、これが本当にすばらしく、深い感銘を覚えた。

 

美談ではなく真実。報道が伝えない真実。

医療以前に、清潔な飲料水や食糧がないという現実から、膨大な数の井戸を掘り、慢性的な干ばつにより井戸さえも機能せず、独学で、日本の古来の治水技術も援用しながら用水路建設に乗り出し、数十万の難民の帰還を実現。本当に素晴らしい成果。

これらの成果は、中村氏の常に問題の本質を見極ようとする姿勢、そして逃げずに粘り強く、誠実に人々と向き合った結果だということが、本書の随所から伝わる。

 

また、活動に誠実に課題に取り組む人々、現地で日々の暮らしを営む人々に、「無用な」混乱をもたらし、いとも簡単に命をも奪うのが、圧倒的な権力と武力であったことも記されている。支援や正義という大義名分のもと、問題の本質をつぶさにみようとしない国際社会への痛烈な皮肉である。

アフガニスタン自衛隊を派遣する際に、国会で「有害無益」と言い切った中村氏こ言葉は、国際社会が行う復興支援や援助の実態や現地の人々を見つめる誠実さから出た、中村氏だけでなくアフガンの人々の心の叫びにも聞こえた。

 

現地の文化・習俗への無理解から起こる諸問題も綴られており、イスラム教への国際社会の偏見や差別の根の深さも考えさせられる。一方で、アフガンの人々の自給自治の精神を理解し尊重しながら、現地住民と共働して井戸や用水路を拓く様子が印象に残った。さらに、そういった生業に必要な諸設備だけでなく、偏見の中、モスクの再建に取り組むなど現地の人々の精神の再建にも取り組まれている。物的・量的支援=支援と思いがちであるが、文化的な側面も決してなおざりにしてはならない重要なものであることが分かる。

中村氏の活動に見られる、現地の人々のために「してあげる」のではなく、現地の人々と「共にする」という共感や腰の低い姿勢は、各地の支援を行う際に忘れてはならない大切なことであるように思う。

 

中村氏は著書の終わりで、今の国際社会のあり方、日本のあり方、政治のあり方を痛烈に批判している。本文全体を通じて、それらのあり方への再考は十分に促されるのであるが、この一文には凝縮されているような気がする。長くなるが下に引いておく。

 今、周囲を見渡せば、手軽に不安を忘れさせる享楽の手段や、大小の「権威ある声」に事欠かない。私たちは過去、易々とその餌食になってきたのである。このことは洋の東西変わらない。一見勇ましい「戦争も辞さず」という論調や、国際社会の暴力化も、その一つである。経済的利権を求めて和を損ない、「非民主的で遅れた国家」や寸土の領有に目を吊り上げ、不況を回復すれば幸せが訪れると信ずるのは愚かである。人の幸せは別の次元にある。

 人間にとって本当に必要なものは、そう多くはない。少なくとも私は「カネさえあれば何でもできて幸せになる」という迷信、「武力さえあれば身が守られる」という妄信から自由である。何が真実で何が不要なのか、何が人として最低限共有できるものなのか、目を凝らして見つめ、健全な感性と自然との関係を回復することにある。

本書を通読してみれば、上記の言葉が強い説得力を持って、私たちの心に撃ちこまれる。今日起きているイスラミック・ステート(IS)問題も、結局は9.11以前から蒔かれていた種であったのかもしれないし、種を蒔いたのが日本ではなくとも、日本はそこに肥料をやってしまっている可能性もある。中村氏は暗にそう言っているように思う。

 

現在の政権が好む「国際貢献」「積極的平和主義」「テロとの戦い」が、いかに空虚であるか。驕りや思い上がりであるか。欺瞞であるか。よく目を凝らして真実を見つめなければいけない。