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星空に感動するのは「美しさ」ではなく「物語」を体感するから

こんにちは。

 

先日、関西随一の星空スポット、奈良県三重県にまたがる「大台ヶ原」に行ってきた。


山歩きが好きなので山で星を見る機会は何度もあったけど、それでも天候などの条件が揃わないとなかなか天の川も見れないもの。
先日の大台ヶ原上弦の月で、日付が変わる頃には月明かりもなく、天の川の濃淡がはっきり分かるほどの星空になった。おまけに、ペルセウス座流星群の極大日の数日前ということもあって、ビュンビュン星が流れ、眠るのが惜しい時間を過ごした。

 

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星空って「美しい」。けど

 

好条件での星空だったので、本当に美しかった。
でも、心の中でふと思った。

 

「美しいから感動するんじゃないんよね」

 

そう心で思って、ちょっと白けてしまう。
確かに「美しい」のだ。
普段街に暮らしていて、あの天の川を見て、大多数の人は「美しい」と感じると思う。

でも、一緒に見てる人に「すっごいキレイ!」って言われると白けてしまう。
相当ひねくれてるかもしれないけど、
星空が人の心を動かす最大の理由は、「美しい」ことではないという気がするのだ。

 

「とてつもない物語」

 

後日、街に戻って、電車に揺られていた時のこと。

 

「あ、これだ。」

星空を見て感動するのは、「とてつもない物語」の世界が目の前に現れるから。

そして、自分自身がその「とてつもない物語」の一部として、今進行していることを実感するから。

そういう答えがふと出たのだ。

 

自分のタイムスケールと、星のタイムスケールは、オーダーが圧倒的に違っていて、
その圧倒的に違うオーダーを持つ世界の一部として、自分が存在している。

星空を見て、自分を相対化して、日々の些事のつまらなさを嘆いたり、生のはかなさを嘆くのではない。

単純に、今目に入ってくる星の光が、数十万年や数百万年前に星が発したもので、それが今自分の目に入ってくること、その単純な不思議。その、それぞれの星も、万や億という年数の過程を経ている。
物理的に星の形成を説明したら、そんな年数なんて当たり前の、ただの数値にしかならないかもしれない。しかし、人にとっては、それは到底想像もできない壮大な物語だと思うのだ。

 

満天の星空が広がるその過程が「とてつもない物語」で、それをライブで見ている自分自身も、実は「とてつもない物語」のとても小さな断片であることを実感する。
街中にいては、自分が天の川銀河の一部であることなんて、意識もしない。
満天の星空の下では、いやがおうにも宇宙の一部としての、自分自身の存在について意識させられる。

 

無いことの豊かさ

 

街の夜は明かりが十分にあって、夜も歩くのにそんな不自由しない。明かりがあるのは豊かなことで、ありがたいことかもしれない。一方、明かりが全くなく、満天の星が見えるということも、それ自体豊かなことだし、様々なことを考え感じることのできるのも豊かさだと思う、明かりがないからこその豊かさ。

 

明かりがある場所から無い場所で出かける。そういう環境の変化の中で感じたことかもしれない。

例えば、毎日天の川が見える環境で生まれ育った人は、どう感じるのだろうか。
私たちが失ったものを、生まれながらに持っている人の感覚。
そもそも、星空に感動すること自体が変なことに思われるのだろうか?
無いものねだり、贅沢なことなのだろうか。
とても気になる。