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【2016年下期】ヘビロテだったクラシック

クラシック音楽を聴くのにも、ある種の波があって、古典派を集中して聴く時期があれば、後期ロマン派の濃厚な世界にどっぷりはまる時期もあり、その時々の環境や気持ち、精神などで偏りと嗜好が顕著に表れる。

当然ながら「ヘビロテ」と言える回数になっている曲や楽章がある。今回は、2016年の下期のそれを紹介してみるという試み。

 

シューマン 交響曲第2番 第3楽章

バーンスタイン/ウィーン・フィル盤も好きだが、この下期繰り返し聴いたのはチェリビダッケ/ミュンヘン・フィルのEMI盤。
そもそもシューマンの2番、しかも第3楽章がヘビロテなどと、自分で言うのもあれだが、気持ち的に相当沈んでいた時期があったのだと分かる。

シューマンの精神病的な側面が顕著に出た作品だと言われるが、私はそうとは思えず、誰にでもある気分の浮き沈み、心の裏表を前向きに消化した曲だと私は解釈している。最もシューマンはどう思っていたのか知る由はないが。

さて、その2番の3楽章は、心の愁いの部分にあたるとても美しい楽章。バーンスタイン盤が胸に迫る苦悩の嗚咽なら、チェリビダッケ盤は苦悩を突き抜けた「澄み」の境地といえる美しさ、チェリビダッケによって研ぎ澄まされた弦の美しさが特筆もの。

チェリビダッケは「禅」に傾倒していたらしいが、あの澄んだ美しさは、ある種の悟りの境地に似たものがあるのではないかと感じるのである。

ところで、先日、パッパーノ/サンタチェチーリア管という蜜月コンビのシューマン2番のライブが発売されて、早速取り寄せて聴いてみたが、素晴らしい演奏だった。ポーッと浮かされたような熱さがとてもいい。何より雄弁。こちらも大推薦盤としてご紹介。

  

 

マーラー 交響曲第4番 第3楽章

こちらはこの秋にどっぷりその魅力にハマってしまった。

クリスマスを思わせる鈴で始まる1楽章で有名な、マーラー交響曲の中では比較的親しみやすい、メルヘンチックと言われているこの曲。ところがどっこい。この曲の3楽章は美しい緩楽章なのだが、そこはマーラー、しっかり毒が仕込んである。

今年一番聴いたのは、MTT/サンフランシスコ響の録音。3楽章は、スローなテンポでじっくり運んでいく。美しい世界が広がると思いきや、暗雲が立ち込め、気づけば崖っぷち。底なしの谷を覗き、絶望するというような、ある種グロテスクな一面が引き出された名演だと思う。

あと、マーラー交響曲は4番、8盤、大地の歌の盤がある、サー・コリン・デイヴィスの録音も良かった。上記のサンフランシスコ響は、アンサンブルこそ鉄壁だが、弦の厚みという点ではイマイチ惜しい。デイヴィス盤のオケはバイエルン放送響というだけあって、その点申し分ない。
中庸な解釈なのだけど、とにかく歌の彫が深い。彫が深さから、この曲の内面が抉り出されているように思う。しかし、感情移入型ではなく、歌い方には格調も感じられる。マーラーのイメージがないサー・コリンだが、実はこれはとんでもない名盤なのではと個人的に思っている。

4番自体あまり聴かなかったのだが、昨秋開眼させられた。そして4番の核は3楽章だという気がしてならない。

 

 

チャイコフスキー 交響曲第5番 第4楽章

ユロフスキがLPOの独自レーベルに録ったライブ盤から。

緩楽章を好んだ下期だったが、こちらはグルーヴ感が堪らない快演。序奏が終わりティンパニーのクレシェンドから畳み掛けるように音楽が推進、もう最後まで聴かずに終われない。コーダの栄光のファンファーレまで熱狂してしまう。気分を上げたい時、気分が上がるときに聴く演奏。

 

 

番外編

クラシックではないけど、ポスト・クラシカルのジャンルのヘビロテ曲を2曲。
といっても、どちらもポストクラシックの名所、アイスランドから。

 

Hildur Guðnadóttir "Without Sinking"からUnveiled

ひとつの主旋律が、始めは間延びしたように演奏され、次第に速くなっていくことで鮮明になっていく、まさに“Unveiled”。
チェロで延々と同じ旋律が奏でられるのだが、ふと身をゆだねると、ずっと続いてほしくなるある種の心地よさがある。


Hildur Guðnadóttir - Unveiled

 

Valgeir Sigurðsson — The Crumbling

”Crumbling”「ボロボロ」の名の通り、この曲を聴くと、うら寂しい浜辺で、座礁した船に波が打ち付け、左右に揺れて、誰もいない船内に軋み音が響き渡る…
このストリングスで出している軋み音のような響きがクセになる。


Valgeir Sigurðsson — The Crumbling