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人にとって「故郷」は唯一無二~水上勉『故郷』

東日本大震災は、地震津波という破壊ではなく、放射性物質による汚染という形で「ふるさとを失う」という、考えたこともなかったような不幸が福島を襲った。この福島の方々の悲嘆を見て、自らも「ふるさと」について考えたり、想ったりした人はきっと少なくないと思う。

 

水上勉の長編小説『故郷』は、原発の設置で変貌する福井県若狭を舞台にを含めて描いた作品である。若狭は氏の故郷だ。

 水上勉といえば『飢餓海峡』が有名。こちらはページを繰る手が止まらなくなるタイプのミステリーでありながら、社会派の要素も盛り込まれた重厚な小説だった。

一方、この『故郷』はそういうタイプの小説ではなく、若狭の情景を、自然だけでなく、そこに住む人や生業、原発の建設による地域や人の変貌を描きながら、「故郷」とは何かを問うた小説だ。

 

話は、若狭を出てアメリカで暮らす芦田夫妻と、母を探してアメリカから若狭を訪ねた若い女性キャシーを軸に語られる。

芦田夫妻がたどったように地方から都会へ出てた人々、中央資本の進出で地元経済の構造が大きく変わる様、価値観の変化など、顕在化している地方の社会問題もうまく盛り込まれている。『飢餓海峡』と『故郷』しか読んでないけれど、この2作を通じて、水上勉という人は、この地方と中央との対比を鋭く見る人だなという印象を持った。

 

私自身は、都会生まれの都会育ち。田舎暮らしをしたいということや地方での滞在の経験も多少あって、地方の問題を理解したいという気持ちを持っている。しかし実際は「故郷」というものの実感もなければ、アメリカに長く住みながらも、若狭を帰るべき場所として模索する芦田夫妻に、感情を移入することができないまま読み進めていった。自分自身の視座が、基本的に中央側であるためだということと、出生地を離れたことがないということに関係すると思う。これは出生地を出て、別の地方で暮らさない限り変わらないだろうと思う。

 

 スリーマイル島チェルノブイリ原発事故を念頭に、芦田夫妻の息子が言う、原発銀座と化した若狭の異常性は、まさに水上氏の故郷 への懸念そのものだと感じられた。しかし、いくら原発銀座になろうと、衰退しようとも、自らの故郷というものは唯一無二のかけがえのないものであるという、断固たるメッセージが感じられた。

「故郷」と「地方」は同一視されるものではなく、「故郷」が持つ価値というのは不変。私が地方や故郷について語る資格があるかどうかは怪しいけれど、「故郷」を視座に「地方」を語る人がもっと増えてくればなと思ったりする。